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總持寺の名宝タイトル

横浜市指定文化財

前田利家像 一幅

前田利家像

絹本著色

縦122.0×56.0㎝

江戸時代

 

加賀前田家の始祖、前田利家(1538~1599)の画像である。織田信長、豊臣秀吉に仕え、やがて加越能三国に所領を得ることとなった。能登總持寺を手厚く遇し、火災後の再建にも意を尽くしている。

利家の画像は旧領内に比較的多数のこされており、本画像もその一本である。像容は束帯姿で、扇を手にして上げ畳に坐す。頭上には、御簾と帷を配し、背後には水墨山水が描かれている。夫人の像と画面形式を等しくし、対幅として取り扱って差し支えないものであるが、厳しく比較すれば、当初からの対幅とは少々考え難い。何れにせよ戦国末期の武将像として珍重される。

象山徐芸像 一幅

象山徐芸像 一幅

絹本著色

80.4×34.3㎝

江戸時代

 

前田利家夫妻の信任篤かった象山徐芸(?~1619)の画像である。象山は總持寺第一八八一世。前田利家の命によりおこなわれた總持寺再興の際、寺僧の中心となって事を進めたのはこの象山であった。利家葬儀の導師をつとめたほか、利家所縁の桃雲寺(金沢市)、また總持寺塔頭芳春院の開山となった。

画像は曲彔に坐し、払子を手にした頂相通例の形式で描かれている。筆線の調子にやや硬い印象があるほか、現状、彩色の剥落が目立つことも惜しまれる。とはいえ、老境の厳しい風貌をよく伝え、袈裟などには装飾性を存分に加味しており、江戸時代初期制作にかかる頂相の作例として評価される。

十六羅漢像 十六幅(内、補作四幅)

十六羅漢像

絹本著色(補作四福は絹本墨画淡彩)

縦86.2×横43.2㎝他

鎌倉時代(補作四福は江戸時代)

 

十六羅漢は仏滅後、正法を護持し、後に弥勒仏の出世を待って悟りを得る十六人の大阿羅漢をいう。

補絹補筆により当初の画趣が損なわれている箇所が多いが、様式の上では、いわゆる大和絵様羅漢図に分類される温雅な画風を示す。平安時代仏画の表現技法を踏む特色が認められる一方、着衣文様や天王の服制、禽獣の表現には新しい図様や表現も見られ、より時代が下るものと考えられる。

十六福のうち第二・八・十一・十五尊者の四福は当初の画幅が失われており、江戸時代後期の天台僧豪潮寛海が描いた四福によって補われる。款記より、補作四幅は文政八年(1825)の制作と知られる。愛知県江南市の久昌寺より寄進。

不動明王種子懸仏 一面

不動明王種子懸仏 一面

銅造

径39.6㎝

鎌倉時代 弘長二年(1262)銘

 

檜の柾目材二材を矧ぎあわせた板に銅造の鏡板を貼り、周縁に覆輪をめぐらした懸仏。鏡板中央には、蓮華座に乗る不動明王の種子カーンを表す。種子は板金を成形し、蓮華座は薄肉に打ち出し、鏡板に鋲留めする。左右両肩の釣鐶座は、鐶台付け根に半截の菊花文、その周囲に蓮華唐草文を線刻し、余白は魚々子地で埋める。

裏面の墨書より、弘長二年閏七月に葛川明王院(滋賀県大津市)に奉納された懸仏三面のうち一面であることが判明した。種子中央部分は近年の修理により補われた。村井吉兵衛氏より寄進。

天童如浄和尚録 四冊

天童如浄和尚録 四冊

紙本墨書

縦12.7×10.2㎝

鎌倉時代

 

日本曹洞宗開祖道元(1200~1253)は渡海求法した時の師、天童如浄(1163~1228)の語録である。奥書を欠き筆者は明らかでないが、細くて力強く、個性的な筆遣いには南宋の影響もうかがわれ、道元禅師の直弟に近い人物の書写になるものと思われる。

江戸時代以降に出版された多くの版本に比し、仁治三年(1242)に伝来したとされる宋本『如浄禅師語録』の古形をもっともよく伝えた完本と考えられており、如浄及び道元の思想解明において重要である。

重要文化財/横浜市指定文化財

※全資料、図録『總持寺名宝100選』より抜粋

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