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伝道標語
鷺鶿雪に立つ 同色にあらず 明月蘆花 他に似ず

十一月になりますと、富士山の頂が粉砂糖をまぶすように日に日に白くなって参ります。日ごと白くなる富士山をお寺から眺めるのが、この時期の楽しみの一つでもあります。大本山總持寺をお開きになりました瑩山禅師様は、雪の白に例えて、禅の心をこう言いあらわしました。

禅の心とは、例えて言うなら、雪に立つ鷺(しらさぎ)や鶿(うのとり)である。真っ白な羽をもつ鷺(しらさぎ)や鶿(うのとり)は、雪原に降り立つと、雪の白に溶け込んで見えなくなってしまう。しかし、雪と全く同じ色ではない。

また例えて言うなら、月にそよぐ蘆(あし)の花である。秋の夜長、蘆(あし)の花は、ススキのように金色に輝き、夜風になびいている。その上を照らす月とは姿も形も違うのに、金色のまるい月とかさなると、同じ色になって、他に似るものがないほどである。

色で例えた禅の心、禅問答のようですね。瑩山禅師様は、この言葉から何を表そうとしていたのでしょうか。これは、「調和」と「自己の働き」を色で例えたものだそうです。周囲に溶け込んでいるのに、同時に、自分らしさも存分に発揮している。相手の心も、自分の心も殺さない。禅の生き方とは、調和の生き方と言っても過言ではありません。

世の中を見回してみますと、良い組織というのは、各自が自分の持ち場をきちんとこなしています。事務職の方は、事務の仕事に徹している。営業職であれば営業の、管理職であれば人員管理の責務をまっとうしている。与えられた仕事を、与えられたようにこなし、生き生きとしている。ここに、調和の姿が息づいているのです。

これがもし、「部長になるはずだったのに、いまだに課長のままだ。能力だって十分なはず、少しくらい部長らしく振る舞ってもいいだろう。」という方が出てきたらどうなるでしょう。一個人としては輝くかもしれません。しかし、組織としては乱れていきますね。どんなに能力があっても、与えられた職域を逸脱して働いては、組織に不協和音がこだますばかり。相手を活かしているとはいえません。会社という枠組みで言えば、与えられた職責の中で、自分の力を存分に発揮する。当たり前かに見えるこの光景こそ、禅における調和の姿なのです。

瑩山禅師様は、お師匠様に「禅の極致をどう言い表すか」と問われ、「暗闇の中を黒い物が走ります。」と答えたそうです。「さらに言い換えるならば」との問いに、「茶に会うては茶を喫し、飯に会うては飯を喫す。」と示され、悟りの証を得たという逸話が残っております。与えられた境遇に徹しつつ、自らもいきいきと輝いている。その姿を説かれたのでしょう。

この調和は、突き詰めていくと、相手のしてほしいことと、自分のしようとすることがぴたりと重なって、外からは自分というものがなくなったかのように見えます。「無我の境地」と表現いたしますが、自分がなくなったのではなく、調和しきった自分がここにあるだけ。その絶妙な違いを、瑩山禅師様は表題の一語に例えたのでありましょう。

鷺鶿雪ろじゆきつ 同色どうしょくにあらず。」雪の大地に降り立った真っ白なしらさぎが、大きく羽を広げ踊っている。雪の白を邪魔せず、溶け込みながらも、しらさぎとしての命を存分に謳歌している。

私たちは、会社や学校、ご近所つきあいなど、なんらかの色に属して日々を過ごしています。周囲の色となめらかに調和しながら、自分らしさを発揮して輝く。そこに、流麗として生きる、禅の生き方があるのです。

平成29年11月(静岡県 碧雲寺副住職 石上博龍)

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