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伝道標語
生生世世 化度利生し 等正覚に至るまで 諸の衆生を救済せん

大本山總持寺の御開山瑩山禅師は、数え八歳の時に生まれ故郷を離れて、大本山永平寺で修行を始められました。青年になるまで修行を勤められ、その後宝慶寺でさらに研鑽を積まれることとなります。

禅師は、この宝慶寺にて弥勒菩薩の御前で、参学の師寂円和尚をはじめ山内の皆に証明を受けながら、衆生済度のご誓願をたてられました。晩年、このことを回想されながら、新たに誓われたのが表題のお言葉です。

意味を私なりに解釈すると、「生々流転し、いかなる世界に生まれ変わろうとも、常に衆生に対し、仏法をもって教化済度し、遥か未来に仏の身となるまで、ありとあらゆる衆生を煩悩の苦しみから救い続けていこう」となります。のちに「常済大師」と称される瑩山禅師にふさわしいお言葉だと思います。

禅師のご生涯は、まさにこのご誓願のとおりのご生涯でした。最初に住職として赴任された阿波の城満寺では、授戒によって多くの檀信徒を得度され、仏とのご縁を結ばせました。その後もご生涯に渡って、数多くの檀信徒を教化得度され続けられました。また数多くのお弟子様を育成なされ、仏法が一人でも多くの人に伝わるように命がけでご指導なさいました。

さらに言えば、私は、晩年に禅師がなされた總持寺の開創こそ、禅師のご誓願を未来永劫伝えんがための、御願いの結晶ではなかったかと思います。

ところで、この世を生きる私たちは、誰もがそれぞれの願いをもって生きていると思います。配偶者や家族を幸せにしたい。自分の生き方が、みんなに認められるようになりたい。など様々だと思います。中には、自分の身命を人類の幸福に注ぎたいと願う人がいるかもしれません。ただ、これが完全にかなえられることはまれです。現実には、日常の生活や業務に追われる中で、願いを心の奥に閉じ込めてしまったり、挫折してしまったりすることの方が実は多いと思います。

だからと言って願いを持つことを決してあきらめてはいけません。誓願と言われるような強く大いなる願いは、人生のどんな荒波をも乗り越える力になってくれるはずだと思います。瑩山禅師が尊いご生涯を全うされたのは、やはり自らのご誓願に支えられたからだと思います。

私は、かつてテレビで感動的な場面を見たことがあります。そこにはダライラマ法王の講演の様子が映し出されていました。講演中、人間関係に傷つきどうしたらよいかわからないと、泣きながら質問する女性に対して、ダライラマ法王が駆け寄ってお言葉をかけられた場面がありました。ダライラマ法王は“心配しないで”と優しくお声をかけられて、泣いていた女性の心をほぐされた後、「本当につらい時には、身近な想いを離れて、人類の救済とか世界平和とかの大きな願いを持ってみなさい」と諭されたのです。その言葉を聞いた途端、こわばっていた女性の表情が、安堵の表情に変わっていくのが画面からもわかりました。女性は法王のお言葉によって、閉じこもっていた悲しみの殻を破ることができたのです。

行く先の見えない不安が、目の前に横たわっているような今の時代にこそ、私たちそれぞれが、生きる支えとなるような、大いなる願いを持つ必要があるのではないでしょうか。

令和元年7月(大本山總持寺 布教教化部参禅室長 花和浩明)

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