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伝道標語
道は山の如く、登れば益す高し。高きに登て頂を極めて、始て真の仏子たらん

「仏道は山の如く、登れば益々高く、(中略)山高く登り頂を極めて、始めて真の仏弟子といえるのである」

私の友人に「北極冒険家」という肩書を持つ方が居ます。彼は平成十一年、大学生時代にテレビでとある高名な冒険家の存在を知り、翌年この冒険家が企画した北極の旅に参加するのですが、それまでは冒険どころか登山もアウトドアの経験も無く、初めての海外旅行の地が北極となったわけです。

何も無い北極で毎日同じような景色の中を歩き、テントを張って食べて寝て、起きてはまた歩くという単調な毎日の繰り返しの中で、それまでの物が溢れた豊かな日本社会では得られなかった人生の目標を得ることができたそうです。

それ以来、十七年間、ほぼ毎年北極圏に足を運んでいるのですが、極地の旅は私には想像もつかない世界です。気温がとても低いのは言うまでもありませんが、突然の暴風雪や地吹雪が続いて何日も動けなかったり、激しく揺れ動いて割れ始める氷の真っ只中に取り残されそうになったり、薄い氷が割れて海に落ちたり、寝ているときにホッキョクグマにテントを揺り動かされて起きたこともあったそうです。

死ぬことと生きることは紙一重で、特に北極では、どんなときも一瞬一瞬の自分自身の判断が生と死を分けるため余計なことに囚われている余裕はなく、人間と言うよりは生物としての本能に忠実になって、判断力、洞察力、行動力をフル活用して、唯「今を必死に生きる」ということに尽きるんだと語ってくれました。

私からすれば、そんな大変な経験をしてなぜ何度も同じ北極点に立とうとするのかが不可解なのですが、「チームで到達を果たせたら次は独りで… 犬ぞりで実現できたら次は徒歩で…」と終着点のない彼の冒険は次々と続いていきます。

そんな向上心あふれる彼は、今、北極点にたった独りで、途中一切の食料や身の回り品の補給を受けずに、荷物を全てソリに載せてそれを自分で引いて歩いて到達するという、今まで世界でも二人、日本人では未だ誰も成し遂げたことのない『北極点無補給単独徒歩到達』という難関に挑戦しています。

「それを果たせたら次は何をするの?」という私の問いかけに、彼は「自然保護、地球温暖化、異常気象、命など…命懸けの経験の中から学び取ったことを次の世代の人達に伝えていく番かな、そのためには冒険は目標を達成して生きて帰って来ないと意味が無い」と答えてくれました。

私たちには彼の如く過酷な生き方は極めて困難です。しかし、日頃の生活に於いて自分でゴールを決め後は胡坐をかく、ということでなく、その時その時の「今」なすべきことをなし、歩みを進め続けることこそ「生きる」ということなのだ、と気付かされるのです。

平成29年3月(北海道 弘濟寺 藤村克宗)

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