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伝道標語
昼は起き夜は臥し、手を洗い足を濯う。
恩を知り恩に報い、風を通じ風を露わす。

「信心銘拈提」の「信心銘」とは中国禅宗の第三祖鑑智僧璨禅師の四言百四十六句の偈頌で、古来より高名の祖録です。「信心銘拈提」の「拈提ねんてい」とは 『古則公案を提起し学人に示すこと』(禅学大辞典)との意味ですが、この祖録「信心銘」を本山開祖・瑩山禅師が文字通り『座右の銘』として参究され、後に続く学人に示された解説の著述が「信心銘拈提」です。その中に登場する冒頭の一節は、次のように意訳します。

 

【昼は起きて働き、夜になれば床に臥し、(清潔を保つために)手を洗い、足を洗う。こうした当たり前のことのように、(祖師方が仏道を伝えられてきた)恩を知ったならば、(当たり前として)その恩に報いるべきであり、(祖師方の)宗風をさとるならば、(祖師方の)宗風を(身をもって)あらわすべきである。】

 

さらに補うならば次の通りです。

【例えば、寒くなれば寒さに備え、暑くなれば暑さに備える。衣は威儀整斉に身につけ、食事の際には余事を交えずきちんと頂戴する。さらには、昼は起きて働き、夜になれば床に臥し、(清潔を保つために)手を洗い足を洗う…、こうした日常の当たり前を当たり前に行じることこそ、仏道である。決して特別な環境において特殊な行をなすことではないことを祖師方は代々伝えられた。故にその恩に報いるべく私たちも〝当たり前〟を体現すべきである。】

こうした内容は、瑩山禅師様をはじめ歴代の祖師方が様ざまな表現で同一に伝えられてきたことです。「日常底」つまり日常の在り様を、「如法」つまり仏の教え(法)とおりに行ずること、こうしたごく当たり前のことこそ、仏の道である、と異口同音に説かれます。

種も仕掛けも無いのが仏道。当たり前で平易ですが、実際に行ずると全く気が抜けないのも仏道であります。

 

今現在、コロナ禍の影響で社会は大きく揺れ動いています。コロナ禍において、近づく東京オリンピックの件、地方でコロナ感染拡大をみせる件、医療従事者の負担増大の件、コロナ禍により経済・経営に大きな支障をきたしている件、などなど、メディアで連日報道されています。膨大で刺激的な情報に翻弄され、いつ終わるとも知れないコロナ禍の現状より焦燥感や不安感が掻き立てられ、ついにはその負の感情を誰彼に向けてしまった事例も散見されます。

 

こうしたときだからこそ、慌てふためく自身の感情から離れ、手洗いやマスク着用、密を避けるなど、出来ることをただひたすらに行っていく意識をしっかり持ちたいものです。そして、コロナ禍の日常を自身で調えてゆけば、色いろと大切なことに気付くのだと思います。

 

例えば、コロナ禍において日夜奮闘される医療従事者のご苦労、ワクチン接種のスムーズ化に尽力される官公庁職員のご尽力、経済を保つため模索される経営に関わる方がたのご心痛、などなど。

こうした、コロナ禍を乗り越えようと最前線で踏ん張っておられる方がたのご恩に報いるためにも、感情に囚われて他者を責めることなく、まずは率先して自身が予防に徹し、落ち着き調った雰囲気づくりの一助となる。こうした心定めが、今私たちそれぞれに求められているのだと思います。

令和3年6月(本山布教教化部出版室長 蔵重宏昭)

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