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伝道標語
寒時には火に向かい、熱処には扇を打す

「コロナ禍」に見舞われて二年が過ぎました。そこからの教訓といえば「ウイルス抜きに日常は語れない」ということ。もうひとつは「私の都合抜きに世界は動いている」。

この都合とは、感染症の早期収束(終息)を願う気持ちや不安を解消したいと強く望む気持ちのことです。

身の回りに横たわる不安。人々との関わりやつながりが休止状態となり、対面によるお付き合いも形式的なものへと変わりつつあります。そして心の内側には、解決できないモヤモヤを抱えながら、何かに怯えている状況。

そんな日常の中で、地震・大雨に見舞われた友人へお見舞いの電話をかけました。「こちらは大丈夫。これからも用心して過ごします。」という返答にまずはひと安心しました。「ところで、お寺で過ごす時間が増えて、あちこち手を掛けてすっかり綺麗になりました。」と私が言うと「実はうちも同じ。綺麗になると気持ちがいいね。」と。同じ取り組みを重ねていたことを嬉しく感じました。

「今、目の前にあることに真剣に向き合う」。

周囲の雑音が気になる時、実はこのことが一番難しくなります。何に向き合っているのかを見失ってしまうからです。

人生の先輩が、こんなことを教えてくれました。

「昨日起きたことは変えられない。明日起きることはわからない。だとすれば、私にできることは今、目の前にあることに適応していくことでしかない」と。

その一言は、この世情にぴったりで、心から頷くことが出来ました。敵・味方と評されるウイルスと人類。勝つか負けるかと喩えられる現状。

しかし人類は適応しつつあります。どんなに世の人々が瞬時につながり、移動時間が短縮され、世界は狭くなろうとも、私一人の足下に変わりはありません。起きて、生活をして、休んでまた起きる。

ひとつひとつのリズムを確認しつつ調えていくところに、落ち着きや安心が現れてくる気がしています。

冒頭の一節、「寒い時には火に向かい、暑いところでは扇をつかう」と、瑩山禅師は、当たり前の事を大切に、丁寧に行うことが肝要だとお示しです。

世の雑音の中にあって、自分を確認する。目の前に起きていることを確認する。

このことが自分が此処に居る、という最もシンプルで大切な気付きにつながっていくのだと感じます。

先行きの見えない暗闇の中にあっても、お互い励まし合う一方、〝自分〟という光を頼みとし、自ずと行く道が照らされていくことを切に願うばかりです。

令和4年1月(山形県 光傳寺住職 庄司憲昭)

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