大本山總持寺は二月半ばになると続々と新たな修行僧が、新到和尚として上山してまいります。ただ年々少子化の影響もあってか、上山する修行僧の数も減少傾向にあります。私が修行に入った三十年程前には、この時期に上山してくる修行僧は六十~七十人という規模でした。それが近年では三十~四十人という規模です。印象としては、かつての半分近くになってしまっている感じがします。
ただ数が少なくなっても、修行の形態が変わるわけではありません、修行僧たちは古来特に厳しいとされる禅宗の修行に耐え、様々な行持を不足なく務めていかなければならないのです。
いつの時代の人もそう思うのでしょうが、私は、私たちが修行していた時代の方がより厳しかったのではないかなと思っています。
でも冷静に考えてみると、少ない人数の中でいろいろな行持を務めなければならない今の修行僧の方が、より厳しいと感じているかもしれません。
本年上山した修行僧たちには、いろいろと工夫を凝らして、より協力し合い、励ましあって本山の修行生活を全うしていただきたいと願っています。
ところで、この時期になるといつも自分が本山で修行をはじめた当時のことを思い出します。正直申し上げると、私は本山に来るまで、僧侶になることをさほど真剣には考えていませんでした。したがって漠然とした心持ちで本山の修行をはじめてしまっていたのです。そのこともあってか日々の修行についていくのがやっとで、毎日毎日がつらい思いの連続でした。夜遅く床についてふと思うのは、「明日が来てほしくないな」ということでした。でもやめてしまおうという思いは浮かんできませんでした。
同時期に上山し必死に頑張っている同安居僧の姿を思う時、また、複雑な行持も難なくこなしていつも明るく凛とした姿を見せてくれる先輩僧にあこがれるとき、何とか我慢して早く一人前の修行僧になりたいと願うものでした。
それでも、本当に心折れてしまいそうになった時には、指導者である役寮さんの「がんばれよ」という励ましの言葉に支えられ、何とか修行を続けることができたと思っています。
そうして一日一日を過ごしていくうちに、修行の辛さも少しずつ和らいで、自分が修行することの意味も徐々に考えられるようになってきました。そして私は三年間の修行を終え師寮寺に戻ったのですが、その時には、自分が僧侶としての道を歩むことには何の疑いも持たなくなっていました。
今考えると、多くの人が仏道修行という目的をもって集う道場だからこそ、私でも最後まで心折れずに修行を続けられたのだと思います。ひとりで同じことをやれと言われても到底できることではありません。
また、各僧堂は、僧堂ごとに定められた規則である清規に基づいて修行を行います。大本山總持寺はおよそ七百年前に御開山瑩山禅師が定められた「瑩山清規」に基づいて修行を行います。本山で修行を続けていけば、だれもが心身ともにあるべき僧侶の姿に近づいていくことができるのです。
そのような、得難き経験ができる場所が叢林といわれる修行道場なのです。
ところで、表題は大本山總持寺御開山瑩山禅師のお言葉です。「我が弟子はひとりで住してはいけない、たとえ悟ったとしても叢林で修行を続けよ」と訳したいと思います。
現在、「お一人様」が流行り、会議もオンラインで済まされてしまう時代です。益々、皆が声を掛け合って何かをするということが少なくなっていく時代です。
しかし、心が本当に通じ合う経験ができ、人として身心ともに大きく成長できるのは、現実の集団生活を置いてはないのだと思います。