今月のことのは

道は山の如く、登れば益す高し。
  徳は海の如し、入れば益す深し。
みちはやまのごとく、のぼればますますたかし。
  とくはうみのごとしし、いればますますふかし。
本山開祖瑩山禅師『伝光録』
第十祖 脇尊者章

仏道は山のようであり、登れば登るほど益々高いものだとしり、(仏の道を歴代伝えられてこられた)仏祖の恩徳は海のようであり、接すれば接するほど益々深いものだとしる。

九月中旬、本山に冬安居の新到和尚さんたちが数名上山しました。

古参和尚さんに連れられ山門をくぐる彼らの緊張と不安な横顔を眺めながらふと、かつて自身もはじめて修行道場の門を叩いた時のことを思い出しました。上山したとたん、僧堂の日常を過ごすために必要な事項、偈文や御経、進退、作法などなど、連日必死で覚え、それまで味わったことない緊張を常に強いられたことでした。その時の表情は、決して穏やかな表情ではなく、への字口で目つき鋭いものだったように思います。また、指導してくださる古参和尚さんや役寮さんも厳しい表情で応対され、僧堂の行持を〝常の如く行えるか〟を点検されていました。

そんな日常も、半年もすれば慣れ親しみ心にも余裕が出来、同じ僧堂内でも不安と緊張に苛まれていた上山したての時よりは、広い視野で捉えるようになりました。その頃は僧堂内で白い歯をみせるのはもっての外、日常の一つ一つを厳格に行ずることこそ仏の道である、と信じて疑わなかった時期でもありました。

一方その頃、僧侶の姿に対する一つの疑念がありました。それは、修行に赴く前の「お坊さん」のイメージは、良寛りょうかんさんに代表されるようにニコニコとしたお地蔵様や穏やかな表情の観音様のそれでした。しかし僧堂に入れば、連日厳しい表情の古参和尚さんや同僚たちの表情。果たして、「ニコニコ」としたイメージは過ちであったのか、と疑ったものです。

そんな時、とある年配の役寮さんと親しく話す機会がありました。その役寮さんは決して強い口調を使わず穏やかな雰囲気を醸しながら、私にやさしく接してくださいました。まさにお地蔵様・観音様のイメージと合致するお坊様で、「将来はこのような僧侶になりたい」と憧れたのです。

修行の入り口から歩みを進めれば進めるほど、目指す理想のお坊さん像が当初のイメージに戻っていったことが、上記の箴言を紐解き、改めて思い出されたのでした。

瑩山禅師様は若くして越前・宝慶寺ほうきょうじの維那(修行僧のまとめ役)に抜擢されました。ご本人は寺務も抜群におこない誰よりも熱心に修行に打ち込んでおられたようですが、ある時そんな禅師様を揶揄する言葉を耳にされたようです。その途端「大罪を犯さん」ばかりの怒りに囚われたと吐露されておられますが、次の瞬間にはお母様の善き僧侶にという願いを思い起こし猛省され、改めて仏の教えを体現しあまねく全ての方たちを導く存在になることを決意された、という逸話が残っています。その後しばらくして、改めて観音様のような僧侶となるべく発願し、実際にそのように振舞われ生涯を全うされたのです。

九月十九日に御遷化された江川辰三禅師様、お人柄としては大変お優しい印象でしたが、かつての写真を整理してみれば、就任時から最近に至るまで写真の禅師様は常にいかなる時も「ニコニコ」とされておられました。まさに最後まで歩みを確かになされ、ついには海の底を究め、山の頂を極められた禅師様であられた、と回顧かいこしたことでした。

令和3年10月
本山布教教化部出版室長 蔵重宏昭