今月のことのは

常に大慈大悲に住して、
  坐禅無量の功徳、
    一切衆生に回向せよ
つねにだいずだいひにじゅうして、
  ざぜんむりょうのくどく、
    いっさいしゅじょうにえこうせよ
本山開祖瑩山禅師『坐禅用心記』

大本山總持寺では、毎年六月に伝光会攝心でんこうえせっしんを修行します。例年五日間の行持で、早朝午前四時から、午后九時まで、ほとんどの時間を本山僧堂にて坐禅三昧の行を行います。

また講堂で、御開山瑩山禅師の撰述された『伝光録』の講義を受け、しっかり学ぶことも伝光会攝心の目的の一つです。

『伝光録』は曹洞宗の重要な聖典の一つで、「伝光」すなわちお釈迦さまから 孤雲懐弉禅師こうんえじょうぜんじ までの、一仏五十二祖の仏法の系譜が明らかにされています。

瑩山禅師の真意を知るためにも、總持寺で修行するもの誰もが、詳しく学び、深く理解することが求められます。

ところで、本山の坐禅は、瑩山禅師が説かれた『坐禅用心記』に基づいて行われます。主に説かれるところは、曹洞宗伝統の坐禅の作法と用心ですが、全体を通じて、禅師自らの坐禅への想いが強く込められています。

坐禅の起源は、お釈迦さまが実際に活動された、二千五百年以上も前のインドにさかのぼります。

お釈迦さまは、生老病死の苦の根本原因を参究し、苦から解脱するために出家されたと伝えられています。出家されるにあたっては、ご自分の地位や家族や財産等、世俗的なかかわりをすべて断ち切られました。そして長年命がけの苦行に徹し、最後は菩提樹の下で七日七晩の坐禅をし、大いなるお悟りを得てブッダになられたと伝えられています。

私たちはこの説話から、仏教は極めて厭世的で、社会的なかかわりをすべて断つべき教えであると理解してしまうかもしれません。確かに、そういう一面はあるかもしれませんが、それがすべてではありません。

お釈迦さまは、お悟りの後、四十五年もの長きにわたって、現実社会にかかわりあって、何万もの人びとに仏法を説かれました。そして悩み苦しむ多くの人びとを救い続けられたのです。だからこそ仏教は慈悲の教えとして完成し、今日も、世界中の現実社会の中で苦しむすべての人びとを、救い続ける教えとなったのだと思います。

今から七年ほど前、私はインドの仏跡を訪ねる旅をしました。その道すがら、現地ガイドの方がバスの中から、ある遺跡をゆびさしてこう叫びました。「見て!あれは、ジーヴァカの病院だよ。」

ジーヴァカは漢訳で耆婆(ぎば)と記され、古代インドマガダ国ラージャグリハ(王舎城)の名医とされ、お釈迦様の主治医的な立場の人だと伝えられています。私が見た遺跡は、バスの中からでしたが、かなり大きな規模の遺跡に見えました。その規模もさることながら、二千五百年年も前の遺跡が、今も当たり前のように町の中に残っていることに驚きました。

そして、伝説としてしか思っていなかった、お釈迦様の足跡が、現実のものとしてありありと感じられたのでした。「お釈迦さまは、仏典の中で、医の大切さ、看病の尊さを説かれておられるけど、きっとそれは、ご自分のご体験そのものであられたのだ。」と素直に思えたのでした。

仏教は、慈悲の教えと言われます。それはお釈迦様の御心と御体験に基づいているからこそなのだと思います。

表題のお言葉は、瑩山禅師の『坐禅用心記』の一節です。禅師は、ひたすら人々の救済を願われた大慈悲の僧として知られています。

坐禅の中においても、「あらゆる人々をお救いしたい」という仏の大慈悲の想いを忘れてはいけないという、まさに瑩山禅師らしいお言葉だと思います。

今、世の中は感染症が猛威を振るい、多くの方々が苦しんでおられます。この度の伝光会攝心に参加する我々は、瑩山禅師の慈悲の御心を胸に抱いて臨みたいと思います。

令和2年5月
大本山總持寺参禅室長 花和浩明