今月のことのは

身命を管せずと雖も、
衣足らず食足らず睡眠足らず、
是を三不足と名づく、皆、退墮の因縁なり。
しんみょうをかんせずといえども、
えたらずじきたらずすいみんたらず、
これをさんぶそくとなづく、みな、たいだのいんねんなり。
本山開祖瑩山禅師『坐禅用心記』

「(仏道修行を為すにおいて)身命をも心にかけない、とはいうものの、(実際に)衣類足らず食事も足らず睡眠も足らない、こうした三不足の状態では、それらみな(仏道修行が)衰えだらける因縁となる。」

二月初旬より流行し始めた新型感染症について二月二十五日に対策の基本方針が厚生労働省より発表されました。

「手洗い、咳エチケット等の一般感染対策の徹底」、「発熱等の風邪症状が見られる場合の休暇取得、外出の自粛等の呼びかけ」、「感染への不安から適切な相談をせずに医療機関を受診することは、かえって感染するリスクを高めることになること等の呼びかけ」などが盛り込まれておりました。

一見すれば当たり前のことを当たり前に言っているようにも思われます。しかし、国民それぞれがこうしたことを意識し行うことこそが感染拡大を防ぐ大きな手立てであるもまた然り、であります。「凡事徹底」の大切さをこうした形で味わうとは思ってもおりませんでした。

こうした「凡事」は文字面だけ眺めれば簡単に映りますが、「凡事」ゆえに日常の実践において油断してしまいます。ついうっかり手洗いを略しマスクを忘れてしまいがち。結果、本来の目的である感染拡大防止という他者や周囲への配慮も「不足」してしまいます。

「凡事」には必ず「うっかり」する心の癖がついて回るのも私たちです。

「凡事」だからと侮ることなくそうなりがちな気持ちをぐっと抑え、個々のこうした小さな努力の積み重ねこそ事態好転の力となることでしょう。一日も早い感染終息を願うところです。

当たり前のことを当たり前に行うことの難しさは、冒頭の「坐禅用心記」の一節の通り、いにしえの修行現場においても同様であったことが窺い知れます。

「坐禅用心記」は本山開祖瑩山禅師が「坐禅」の際用心すべきことを詳細に記されています。瑩山禅師ご活躍の頃、全国各地の修行僧がその高名ぶりに大勢禅師のもとへ参集し、共に坐禅を中心とした修行がなされていたことが想像されます。様々な者たちが修行に打ち込めば、修行道場ならではの陥りやすい過ちもまた様々に生まれたことでしょう。知識を蓄えたゆえに頭ではわかったつもりとなり、理想に燃えるあまり気持ちが先行する、などなど。

結果、追い求める理想の姿と現実の自身の在り様に焦り苦悩する余り、「衣足らず食足らず睡眠足らず」となり身と心を削り健康を害し修行どころではなくなる。こうした悪循環に警鐘を鳴らされたのが、紹介の一節ではないでしょうか。

今自分の身心が置き去りにされることのないよう、張りすぎず緩みすぎず、身心を常に「威儀斉整」を保つこと。己がなすべき道を歩むにおいて、こうした自身への配慮が大切である、ということでしょう。

そして我が身我が心への配慮が「不足」すれば、自ずと他者や周囲への配慮も「不足」するということ。

仏道修行においても、また今現在の状況下においても「用心」すべきことでありましょう。

令和2年3月
本山布教教化部出版室長 蔵重宏昭