今月の標語は、本山二祖峨山韶碩禅師さまの法語の中のお言葉です。峨山禅師さまは、ご本山を開かれた太祖瑩山禅師さまのおしえを継がれ、多くのお弟子さま方を輩出されて、全国におしえを広め、曹洞宗発展の礎を築かれた和尚さまです。
青葉に思う
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」
江戸時代前期の俳人、山口素堂の句にあるような好時節となりました。ひと月ばかり前にご本山を彩っていた桜の木も今は若々しい青葉をみせています。程なくほととぎすもやって来る事でしょう。ご本山の初夏はたくさんの緑が美しい季節です。木の種類によって葉の伸び方も色もちがいますから、さまざまな木がそれぞれの青葉で、日々美しい緑の布を織りなすようです。みんなちがう一枚一枚の葉が、どれも等しく尊い存在なのだなぁ…と感じます。
日々うつろうその姿を見る度に、自分もそうありたいと思います。伸びゆく青葉のように日々新しい心で生きたいものです。
自然が教えてくれるもの
私たちの身のまわりにある「あたりまえ」と思っているものや、そばにある「好ましいもの」は常に変わることなくそこに在り続けると思いがちですが、本当にそうでしょうか。
青葉の山はやがて紅葉となり冬枯れの姿に変わります。海を渡ってやって来たほととぎすも時が来れば去ってゆきます。初鰹は戻り鰹となって帰って来ます。目で見て、耳で聞いて、身体で感じるすべてのものは常にとどまることなくうつろい変わってゆきます。
昨日の失敗も、今日の楽しみも、日頃の自分をとりまく環境もみなとどまることなく時とともに変わり続けてゆきます。美しい花を愛でいつまでも咲いていてほしいと願ってもそれがかなわぬことは自然の姿が無言で教えてくれているのです。
峨山禅師さまは、師である瑩山禅師さまのお言葉を用いて以下のように説かれています。
「立ツ所、居ル所ヲハ知レトモ、正二立時、居時ヲハ知サルナリ」、「我ニ義理ノ浮ムホトハ、全ク見性ハセラレマシキナリ」
現代社会に生きる皆さん方にあてはめて読んでみましょう。「私たちは日常の生活や仕事、立場上のことはよく知っているけれども、自分自身が生きている今、瞬間の大切さは理解していない」、「知識や外から常に入って来るさまざまな情報を自分の考えや思いだけで判断している限り、本当の真実は見きわめられない」となります。本当の真実そのものをありのままに示してくれている大自然の姿の前で、世の流れや社会の動向にまどわされることなく、今自分自身の生きているこの瞬間を見つめなおすことで、自身の本来あるべき姿を見つける事が出来る事でしょう。
青葉のように
峨山禅師さまは瑩山禅師さまとご一緒にご本山の大祖堂に御座しまして、今なおみ教えを説きつづけておいでになります。ご本山においでの折は、是非、お手を合わせてお参り下さい。そして、ご本山の豊かな自然の中でそっとご自身を振り返ってみてはいかがでしょうか。きっとよい心の再スタートの機会となることでしょう。
伸びゆく青葉のように、いつまでも、どこでも、どんな時でも新しい心で生きてゆかれますように。