12月8日は「成道会(お釈迦さまがお悟りをお開きになられた日)」です。
皇太子という位を捨てて、出家修行の生活に入られたお釈迦様は、それまでの苦行をやめて、菩提樹の下で静かに坐禅を修行されました。
その時、このままではお釈迦様にお悟りを開かれてしまうということで、悪魔がいろいろな姿に身を変えて、お釈迦様を誘惑します。
その時の様子を、中村元先生の『ブッダのことば』(岩波文庫)から引用させていただきますと、例えば、坐禅しているお釈迦様の耳元で、次のようにささやきます。
「あなたは痩せていて、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。きみよ。生きよ。生きた方がよい。命あってこそ諸々の善行をなすこともできるのだ。」
「つとめはげんだところで、何になろうか。つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい。」 このように、修行をやめて、楽をして生きる方向へと、お釈迦様を誘いました。
しかし、お釈迦様は毅然としてお答えになりました。
「わたくしには信念があり、努力があり、また智慧がある。このように専心しているわたくしに、汝はどうして生命をたもつことを尋ねるのか。」
さらに、悪魔は様々な軍隊を差し向けて、お釈迦様を攻撃します。
第一の軍隊は「欲望」です。「あれもほしい・これもほしい」という飽くなき貪りの心です。
第二の軍隊は「嫌悪」です。これは嫌がること、つまり修行することを嫌がることです。
第三の軍隊は「飢渇」です。これは飢えや渇きのことで、食べ物や飲み物に対する欲望です。
第四の軍隊は「妄執」です。これはものごとに執着する心です。
第五の軍隊は「ものうさ・睡眠」です。つまり怠け心です。
第六の軍隊は「恐怖」です。これは恐れおののくこと。尻込みしてしまうことです。
第七の軍隊は「疑惑」です。これは疑い惑うこと。何でも疑い深くして、自らの進むべき方向性に迷いを生じることです。
第八の軍隊は「みせかけと強情と、誤まって得られた利得と名声と尊敬と名誉と、また自己をほめたたえて他人を軽蔑すること」です。
こうした様々な悪魔の軍隊を一つ一つ退けられて、見事にお悟りの境地に至ったのです。これを「降魔成道(悪魔を降伏させて道を成す)」と言います。
この「悪魔の軍隊」というのは、実は外からやってくるものではなくして、自分の心の中からわき上がってくるもの、すなわち煩悩の心を指しています。
「降魔成道」の教えは、お釈迦様ご自身の心の中の葛藤を表現したものであり、お釈迦様はご自分の煩悩に打ち克って、お悟りの境地へと到達されたのでした。
お釈迦様はこのように自身の心と正面から向き合って境地へ達せられました。瑩山禅師様も、仏の道を歩むにはあくまで他に目を向けるのではなく「己時究明」に徹すべきである、とご指摘です。
外の世事に振り回されず、自分の心の中から沸き起こってくる煩悩の誘惑に負けて道を踏み外すことのないよう、常に気をつけながら歩んでまいりたいと思います。