今月のことのは

生生世世 
化度利生し
等正覚に至るまで。
しょうしょうせせ
けどりしょうし
とうしょうしょうがくにいたるまで。
本山開祖瑩山禅師『洞谷記』

言葉の意味

この言葉は、大本山總持寺をお開きになられました瑩山禅師様が誓願を立てられたときに言われた言葉です。生生世世(いついかなる時も)生きとし生けるすべての方々に仏教を広め、安心という悟りの心に至るまで多くの方々を救済します。という願いより強い深い思いが詰まった誓願という言葉です。

お釈迦様の教えには『自らが救済される前に、まず他の人を救済し幸せに導こう( 自未得度先度他じみとくどせんどた)』という教えがあります。瑩山禅師さまは、このお釈迦さまから伝えられた教えをしっかりと受け止め、今に伝えてくれています。

いついかなる時も時は流れる

今年も十一月に入りました。ある人は「あっという間の一年だった」というかもしれませんし、またある人は「今年は、とても長かった一年だった」と思うかもしれません。

北海道に住む私にとっては、今年一年は、あっという間でしたが、ある時は、とても長く感じてしまいました。

真っ暗になった北海道

9月6日早朝、北海道を震度7の大地震が襲いました。震源地は北海道南部の厚真町を中心とした地域です。死者四十一名、避難者一万三千百十一名、北海道内全域で停電二百九十五万戸(読売新聞一〇月一三日発表)の被害を出した「北海道胆振東部地震」です。

多くの死傷者が出てしまいました。お亡くなりになられました方には、お悔やみを申し上げ、被災に会われました方々には、心からお見舞いを申し上げます。未だに多くの方々が不自由な生活を余儀なくされております。

キンジョの思いやり

地震後すぐに北海道内のほぼ全域が停電になる「ブラックアウト」という前代未聞の事態が発生してしまいました。私の住む北海道留萌市でも停電の影響で高台にある集合住宅に水が送れずに断水が発生し、市内の信号機は全て消え、不安な時間を過ごしました。

停電になった2日目の夕方、徐々に日が暮れ始めると、周りが真っ暗になってきました。お寺にある大きなローソクを持って、近所を訪ね「大丈夫ですか?懐中電灯ありますか?もしもの時にローソクをもって来ましたよ。余震と火事に気を付けて使ってください」「大丈夫、大丈夫よ。でも、真っ暗で怖いね。心細くなるわ。」近所の年配の女性が言っていました。声がけをしながら近所を歩いて気付くのは、お互いの顔を見る安堵感と声を掛け合う安心感でした。

お寺に戻ると近所の設備機器を営む檀信徒さんが「自家発電機を給湯器に繋げて、シャワーを使えるようにしたから、おいでよ。お子さん膚弱かったでしょ。」と言いに来てくれました。

お年寄りと子供を優先に自宅のお風呂場を開放してシャワーを使える様にしてくれました。「自分たちは最後でいいの、まずは、お子さんからどうぞ」その言葉に溢れるほどの感謝を感じました。困った時はお互い様ではなくて、まずお先にどうぞ。その言葉と行動に近所の方々はどれだけ不安な心が晴れたかわかりません。

災害に遭うと、まずは、自分を守る「自助」が大切です。次には、互いに助け合う「共助」が起こり、そして、公で助け合う「公助」が大切だと言われます。 今回の地震は、それに加えて近くで助け合う「ご近『助』」の大切さを改めて気づかされました。

自未得度先度他

瑩山禅師様は、いつでも慈悲の心を忘れずにいる事を願っています。しかし、自分が大変な時はなかなか周りを見る事が出来なくなってしまいがちです。

そんな中でも、一つの言葉が、一つの行動が、どれだけ、周りの方の安心感を生むことが出来るか。その安心した晴れた顔から自分を含めた周囲の方にどれだけの安堵感を生むことになるのか。その功徳は計り知れません。

未だに大変な状況の中ですが、北海道は、全国の多くの方々から頂いている頑張れの声から、心から顔晴れる(がんばれる)北海道が生まれています。今年もあと二か月、お互いに素敵な日々でありますように…。

平成30年11月
北海道 天總寺住職 谷 龍嗣