「たとえお釈迦様がこの世にお出でになり、達磨大師が現在いらっしゃったとしても、(仏道修行に励む)各人は、(偉大な方がたの)他の力を借り(あてにしようとし)てはいけない。(誰かに頼るのではなく)ただ自らが納得し自ら証明するからこそ、(偉大な方がたと比べ)少しは相応の修行成果が得られるのである。」
自分自身の修行の道において、つい偉大な方や立派な方を前にすると、その方のご威光をいくばくかでも頂戴したくなるもの。しかし、尊んでも頼みにしてはならない、あくまで修行とは自分自身で決着するもの、といった仏道修行における厳格な姿勢を示したお言葉です。
世間では「二世~」とか「~ジュニア」などと揶揄される方たちがいらっしゃいます。 親御さんや親類縁者などが偉大な足跡を残し、その威光を傘に着ることを皮肉を込めそう称する場合もあります。 しかしよく観察すれば「二世~」と称される方がたの中には、実は先代の威光を借りるどころかその名声を上回る方も多くいらっしゃるのも事実です。 そうした方がたに共通しているのは、その威光に甘んじることなく、先代を凌駕せんばかりに一層の学びの姿勢を示されていることです。
お釈迦様の十大弟子の一人に羅睺羅尊者という方がいらっしゃいます。この方はお釈迦様の実子です。
十五歳の多感な時期に沙弥として僧団に入った、と伝えられます。想像するにお釈迦様が在世時の僧団において、実子である自分がどういう立場かまた周囲からどう映るか、相当に自答され悩まれたことは容易に想像がつきます。
そして、出された結果が、お釈迦様の実子としての事実を跳ね返すだけの修行を徹底すること、であったとことでしょう。
伝記によればその後、三千の威儀とも八万の細行ともいわれる僧団においての戒律を厳格に守り修行され、ついには綿密な修行を誰よりも徹底された、の意味で「密行第一」と尊称され、特に優れた十人のお弟子の一人として数えられるまでになられたのでした。
お釈迦様の実子としての威光をふりかざすこととは正反対に、「どうぞ私の歩みをご照覧ください」とばかりに、あくまで一人の比丘としての生き様を示し続けられた羅睺羅尊者の姿勢。
その姿勢から、誰からも後ろ指を差されることのないほどに、世縁に煩うことなく、綿密にそしてただひたすら(只管)に歩むことの大切さを学びとることが出来るのです。