ご本山の放光堂というお堂の後ろに鶴翔寮という学生寮がございます。
この鶴翔寮というのは、ご本山に隣接しております鶴見大学付属高等学校の仏教専修科に通う生徒さんが下宿しておられる寮ですが、そこにおられる学生さんは、例えば福島県や長野県、あるいは福井県などから来られたお寺さんのご子息さん達です。この寮における一日のスケジュールをご紹介しますと、朝六時起床・洗面、六時三十分から、ご本山の放光堂において朝のお勤め、七時朝食、七時三十分から朝清掃、八時十分に学校へ登校、午後六時三十分帰寮、その後、入浴・夕食を済ませ、七時三十分より勉強、夜の坐禅、そして十時消灯ということで、実に規則正しい生活をされております。
さて、数年前になりますが、私はその鶴翔寮のお風呂場をお借りして入浴させていただいたことがございました。夕方、時間を見計らってタオル持参で鶴翔寮へお邪魔しますと、風呂当番と思われます学生さんが三人ほどお風呂場の前におられました。そこで、「お風呂をいただいてもよろしいですか。」とお聞きしますと、「もう少しお待ち下さい。今から開浴を行います。」と言われました。「開浴」というのは「浴室を開く」ということで、入浴前の作法を行うということです。すると、三人の学生さんの中の一人が、浴室のところに祀ってあります仏様(跋陀婆羅菩薩様)に対して、お風呂に入る時にお唱えをする偈文(短いお経の言葉)をお唱えしながら、丁寧に礼拝を始めたのです。
その学生さんは、その年に入学したばかりの一年生でありました。私には少々ぎこちない作法に見えましたが、二人の先輩に教わりながら、一生懸命礼拝する姿を目の当たりにした時、何かグッと胸に込み上げてくるものがありました。高校生とはいえ、まだまだ親元で甘えていたい年頃であろうと思いますが、その親元を離れて、不慣れな寮生活の中で、先輩に一つ一つ教わりながら、入浴の作法を純心に行うその素直な姿に、私は思わず手を合わせておりました。やがて礼拝を終えた学生さんは、「大変お待たせいたしました。どうぞお入り下さい。」と言って、私に入浴を勧めて下さいましたが、あまりにもったいなくって、とても入る気にはなれませんでした。
結局、そのまま一番風呂をいただくことになりましたが、その日の入浴は、殊の外すがすがしいものとなりました。と同時に、私自身は、日ごろからあの学生さんのように、純真な気持ちで仏様を拝んでいるだろうかと考えさせられました。もしかしたら、つい慣れてしまって、その純粋性を見失っていたのかもしれません。
瑩山禅師様は、「自らの最初の発心を顧みて、仏道にかなっているところと、そうでないところをしっかりと見極めなさい。」とお示しになっておられます。私も三十年ほど前に、ご本山において修行させていただきましたが、おそらく最初のうちは、あの学生さんと同じように、多少ぎこちないところがありながらも、先輩の教えに忠実に従いながら、ただひたすらに仏様を拝んでいたと思います。
この度、再びご本山において修行させていただくご縁を頂戴し、上山してから三か月になろうとしておりますが、これからも仏様を純粋な気持ちで礼拝するという信仰の真を決して忘れないように、初心に立ち返って、自己の行いを微細に点検しながら、日々の精進を重ねて参りたいと思います。