今月のことのは

仏の言く
 篤信の檀那 之を得る時
 仏法 断絶せず
ほとけのいわく
 とくしんのだんな これをえるとき
 ぶっぽう だんぜつせず
本山開祖瑩山禅師『洞谷記』

近年よくマスコミで取り上げられる話題に、寺離れがあります。家族が亡くなって弔いたいのだけど、僧侶を呼ばずに直葬にしたい。自分が亡くなったら、子供に迷惑が掛からないように散骨にしたい。先祖代々の墓があるのだけど、管理ができないので、墓じまいをしたい。などと、少し前だったら、大きな声で言えなかったような事案が、表立って語られるようになってきました。

なぜそうなったのかといえば、時代が変わったからともいえるのでしょうが、深く考えると、寺と檀信徒との関係、つまり寺檀関係が大きく変化しているからなのだと思います。

私が寺檀関係を強く意識したのは、住職就任式に当たる晋山式の時でした。寺に入山する前に、まず安下処で身支度を整え、そこから寺に出発します。安下処は、檀家総代長の家でした。出発前に、お仏壇の前で、数名の僧侶とともに先祖供養のお経をあげることになりました。正面にいた私が顔を上げると、お仏壇の中のあるお位牌が目に入りました。そこに書かれていたお戒名は、わたくしにとってとても懐かしい方のお戒名でした。その方は、先代の檀家総代長でした。

私が幼い時、住職であった祖父が亡くなりました。その時私の父は、教職だったこともあって、寺に専念できない状態でした。そんな中、私たち家族を親身になって支え、必死でお寺のことを守ってくれたのが、先代の総代長でした。その戒名を目の当たりにした私は、幼いころのことを思い出し、胸が詰まって、お経があげられなくなってしまいました。そんな私の心には、亡き総代長が「よく来てくれたね、これからお寺の事よろしくお願いしますね」と笑顔で語りかけている姿が浮かんでいました。

檀信徒の代々の信仰に守られてお寺が存続し、その寺がいつの時代にも、檀信徒の心の一番の支えとなってあり続ける。そんな寺檀関係がわが国では何百年も続いてきたのです。その関係が時代の風潮で色あせてしまうことは、とても残念で悲しいことだと思います。

表題は瑩山禅師のお言葉で、「お釈迦様はこう述べられた。『信心の厚い檀信徒を得たならば、仏法は決して途絶えることがないであろう。』」という意味です。禅師は、すべての衆生を未来永劫救い続けるというご誓願を立てられました。ご誓願を成し遂げるためにも、自ら創建された寺が永続することを切に願われました。

寺が永続するためには、檀信徒の存在や支えが何よりも大切です。また、多くの人びとにとって寺という存在がなければ、お釈迦さまが残された尊い仏法を信仰し、人生の安寧を得る術はありません。我が国は何百年もの長い間、寺檀関係におけるお互いの信頼と絆を根幹にして、それぞれの時代の多くの困難を乗り越えてきたのです。

今、我が国は、仏教の信仰において新たな時代に入りました。尊い仏法が廃れることがないように、寺と檀信徒が力を合わせ時代にふさわしい関係を築いていきたいものです。

平成30年4月
本山布教教化部参禅室長 花和浩明