今月の標語は、通幻寂霊禅師がご生涯を終えるにあたって残された言葉の一節です。
上記の意味するところは、『心が執われるすべてのものを捨てなさい。最も大切なものは何なのか、という事をひたすらに究明し、文字や言句に迷わされて、歩むべき道を踏みはずしてはなりません』これは、言わば遺言ですから、最もお伝えになりたかったお心そのもの、と私は思っております。さて、通幻禅師とは、どのような和尚さまだったのでしょうか。
通幻寂霊禅師は大本山總持寺第二祖・峨山韶碩禅師の高弟で五哲の一人に数えられ、能登・總持寺にあった五つの塔頭(五院)の一つ、妙高庵の開基です。
通幻禅師は南北朝時代の和尚さまで、出身は諸説ありますが豊後の国(現在の大分県)であったことが有力です。本山二祖峨山禅師のおしえを嗣がれて、三度ご本山の住持を勤められたお方です。ご本山のさまざまな制度を定められ、ご本山発展の礎を築かれました。曹洞宗のおしえを全国に広め、たくさんのお弟子さま方の育成に尽力なされました。特に通幻十哲と呼ばれる十人の優れたお弟子が有名です。
修行に対しては誠に厳しいお方で、その様子をうかがい知る故実に「活埋抗」と「文字点検」があります。「活埋抗」は文字通り、活き埋めの抗で、通幻さまのもとで修行を志す者は、この抗の前で激しい問答を受け、修行の覚悟や真剣さが足りない者は、この抗に蹴り落とされたという事です。
活埋抗という関門をくぐれた者を待っているのが「文字点検」でした。通幻さまは、五日に一度、山内を点検され、雲水の持ち物の中に文字に関する物、書物や筆記用具を見つけては、没収して焼き捨てました。これは、仏道修行が文字や言葉の中ではなく、日々日常の中での実践に他ならないのだから、雲水たちが文字言句に執らわれて、本来なすべき修行に打ち込めなくなる事を慮られるお心の現れです。
このように「文字点検」は、本当に大切なものは何なのか、という事に気付かせるための親切心であり、弟子を突き放し、目覚めさせ、自分の力で修行して自ら会得させようという通幻さまの切実なおもいであったのでしょう。
「活埋抗」や「文字点検」は現代を生きる皆さんにとっては、全く非現実的な故実を思われるでしょう。この故実は私たちに一体何を教えてくれているのでしょうか。
この世を生きる、という事は「活埋抗」の端を歩いてゆくようなものです。丁寧に、真剣に日々を過ごして、自ら落ちないように、心を見つめ直しましょう。また、あり余る情報に心を奪われ、流されやすい時代となりました。本当に大切なものは何なのか、自分がなすべき事は何なのか、自ら点検してそれを見失わないようにして下さい。
自分自身の「活埋抗」を、「文字点検」を心に浮かべてみて下さい。忘れていた大切な事に気付くかもしれません。爽やかな秋の風情の中にきっと良い始まりがおとずれる事と思います。