今月のことのは

縦使、難値難遇の事有るとも、
  必ず和合和睦の思いを生ずべし
たとい、なんちなんぐうのことあるとも、
  かならずわごうわぼくのおもいをしょうずべし
本山開祖瑩山禅師『洞谷記』

私の祖母が存命だったころ、祖母はよく檀家さんの相談役になっていました。その相談も法事のことやら、供養の事やら様ざまでしたが、私の記憶だとその多くが、家族や他人への不満を聞いてもらいたいという相談でした。祖母は、どんな話でも嫌がらずに親身になって聞いていました。そして、一通り愚痴を聞いてもらえると、皆心落ち着くらしく、穏やかな表情になって帰っていくのが印象的でした。

そんな中で、いつ来ても家族のことを褒めて帰るおばあちゃんがいました。「うちの亡くなった旦那は、よく働いて私たちのことを一生懸命に養ってくれたいい旦那だった。」「うちの嫁は、優しくて気の利くとてもいい嫁だ。」「うちの孫たちは、素直で年寄り想いのいい孫だ」等々、人を褒める言葉だけで、愚痴は一切聞いたことはありませんでした。実際そうであったとしても、なかなか褒め言葉は言えないものです。当時の私としては、「どうして人の愚痴を言わないのだろう」と不思議な思いをしていたくらいです。現在、このおばあちゃんのお孫さんたちは、それぞれ立派な大人となり、仕事も家庭も順風満帆な様子です。今考えると、おばあちゃんは、子供の良き教育に欠かせない家族の和合を大事にするために、あえて家族のことをみんなに褒め伝えていたのではないかとさえ思えます。

今から二六〇〇年もの昔、お釈迦様によって仏教はこの世に誕生しました。そしてその後間もなく、修行僧たちが集まり自己研鑽に努める仏教のサンガ(僧伽)が造られました。いろいろな個性が集まるサンガでは、お釈迦様によって、修行環境を整えるための戒律が定められました。その中で特に尊ばれたのが和合僧としての姿でした。一方、サンガの和合を乱す行為が、戒律に最も反する行為とされたのです。そのことからも、仏教の精神は和合にあるといってもいいのではないかと思います。

大本山總持寺の御開山瑩山禅師は、観音様のような慈悲心をお持ちだったと伝えられています。その御心を慕って、多くのお弟子や檀信徒が禅師のもとを訪れました。禅師は晩年「大悲の御誓願」と言われるお誓いを立てられました。それは「この世に、迷い苦しみ悲しみ悩める衆生がいる限り、私は、未来永劫にわたって、最後の一人が成仏し救われるまで衆生を済度し続けるのだ」という大慈悲のお誓いです。禅師は六二歳でご遷化なさいましたが、私は、禅師はこの御誓願を果たさんがために總持寺を建立されたのだと考えています。

ところで表題の言葉は瑩山禅師が記された『洞谷記』の中の一節です。「たとえどんな困難に直面しても和合和睦の思いを忘れてはいけません」という意味です。禅師は、寺院が未来永劫存続するために寺檀和合の尊さを常に説かれました。禅師が切に願った和合和睦の精神こそ、争いや憤りの心を静め、人と人との絆を強くし、寺院を守り続け、尊い仏の智慧と大慈悲の心を未来につなぐ原動力となるのです。

今月は、私たちにとってはお盆の月です。古来お盆にはご先祖の御霊(みたま)が家に戻るとされています。ご先祖は子孫の仲良い和合の姿を望んでいるはずです。皆さまも、様ざまな困難を乗り越えて私たちに命をつないでくださったご先祖に感謝し、どうか皆様もまた和合和睦の心をもってお迎えください。

平成29年7月
本山布教教化部参禅室長 花和浩明