山口県萩市は、日本海に面した漁業が盛んな町です。豊かな漁場の萩沖からは、タイ、アジ、フグ、マグロをはじめとする二五〇種類もの魚が水揚げされています。地元の人たちは長らく豊富な海の幸の恩恵を浴してきました。
その漁師町の一角に「魚鱗供養塔」と刻された巨大な石碑が建立されている寺院があります。碑前では年に一度、漁師さんたちが参列し供養の法要が営じられます。漁師さんにとって漁船の安全航行と豊漁祈願も大切ですが、生活を支える魚介類の“いのち”に対し、慰め感謝の念を捧げることも、大変大切にしてきました。また伝統的にクジラ漁が盛んだったお隣の長門市では、江戸期にはクジラ過去帳さえも作成され懇ろに供養されてきました。こうした魚介類への供養習俗は日本各地に見られ、供養碑だけでも一一〇〇基以上あるとされます。
特に戦後は漁法・養殖技術の発展に伴って漁獲量が増えていった一方で、出荷・消費されずにやむなく処分される魚介類も増えました。だからこそ、私たち人間の生活を支えてくれるいのちあるものに対して、供養という形で感謝申し上げることは、大変意義深いといえるでしょう。
さて瑩山禅師は永光寺での修行規範を記した『瑩山和尚清規』に、標題で掲げましたとおり「すべてのものを平等にみる仏の大慈悲心は、区別することなく多くの生きものに恵みを与えて救済し、広大無辺な教化指導力は、どのような生きものもお救いされる」と示されます。そして「寺の田畑が耕作されたとき犠牲になった虫たち、檀信徒が飼育する家畜や、ありとあらゆる自然界でいのちを落とした生きものを供養しなさい」と説かれます。人間だけでなく陸水の動物はむろん、オケラ・アリ・カタツムリなど小さな虫たちにいたるまで、慈しみの心を注いで丁重に供養することで、すべてのものが仏縁を結び、悟りの智慧が円成する、と力強くおっしゃいます。宗教学の正木晃先生もかねてよりこの一節に注目され、自然との共生が必須の課題である二十一世紀の宗教にふさわしい思想として、高く評価されています。
しかも十二月八日は釈尊がお悟りを開かれた成道会ですが、瑩山禅師はその前後は睡眠を惜しんで徹底した坐禅に打ち込み、その後は年末まで有縁無縁の御霊供養にひたすら専心するよう定めています。鑑みるに、釈尊は成道後に広大無辺の慈悲心により仏法を弘められましたが、瑩山禅師も坐禅の功徳力を、あらゆる衆生に対して慈しみの御心で向けられたのだと窺い知られます。
曹洞宗は道元禅師と瑩山禅師を両祖として敬いお慕いしています。恐れ多くも道元禅師を精緻を極めた智慧の象徴たる文殊菩薩に喩えるとするならば、瑩山禅師は一切衆生の救済を行願に掲げた慈悲の象徴たる普賢菩薩に喩えられるかも知れません。古来、文殊・普賢の両菩薩が脇侍として釈尊の智慧と慈悲を象徴してきたように、曹洞宗も両祖相揃ってこそ、正伝の仏法があまねく敷衍されてきたといえましょう。
混迷を深めつつある現代社会ですが、平成三十六年の瑩山禅師七〇〇回大遠忌を控え、あらゆる生きとし生けるもの、さらに亡くなっていったすべてのものにさえ等しく恵みのまなざしを向けられた瑩山禅師の行状に慈悲心の本質を学んでいくことが、これからの未来を担うべき私たちのつとめではないかと思っております。