お釈迦さまの教えは途切れることなく今日の私たちまで伝わっている。
大本山總持寺の西側に宝蔵館「嫡々庵」と呼ばれる、重要文化財や横浜市指定文化財を含む總持寺所蔵の寺宝や文化財を一堂に集める建物があります。この建物は昭和四十九年、瑩山禅師六百五十回大遠忌の際に建立されました。
それから五十年の年月が流れ、来年四月には瑩山禅師七百回大遠忌を迎えます。この七百回大遠忌では、記念事業としてこれまで宝蔵館にて大切に受け継がれてきた寺宝や文化財の中から、特に貴重とされる所蔵品について、更には瑩山禅師さまのご生涯やそのみ教えを著した典籍などを高性能なカメラでデジタル画像としてデータ化して記録し、インターネット上で多くの人に開いていく場を提供するデジタルアーカイブ事業を進めています。
先日その宝蔵館の収蔵庫を調査するという希少な現場に立ち会わせて頂いた時の事です。絵画・彫刻・工芸・書跡・古文書と多岐にわたる所蔵物の中から、江戸時代の總持寺での日常を記した古文書を、専門家の先生が白い手袋をした手で一枚一枚丁寧に調査されています。私は調査をしている脇から資料を覗いてみました。しかし、それは崩した行草体の文字で私のような無学の者には容易に読解する事は困難でしたが、先生のお知恵を借りて一文字ずつ追っていくと、どうやらそこには当時の總持寺での修行内容が記載されているようでした。
「朝起きて、顔を洗い、坐禅をする。朝のお勤めは…。」~昔も今と変わらない修行をしていたんだ…~ 總持寺での修行は瑩山禅師さまの頃から変わらない事を頭では理解していましたが、実際に数百年前に生きた僧侶の肉筆を目にすることで、自分たちの修行が瑩山禅師さまに通じている事を実感をもって理解する事が出来、言葉にできないほどの感動を得て心が震える思いでした。
そんな中一緒に立ち会っていた先生が「雲水さん(修行僧の事)の姿は本当に尊いですよ。坐禅をする姿。お経を読む姿。真摯に作務をする姿。その雲水さんの姿を見るたびに、私も含め特に一般の参拝者は背筋を正される思いがして思わず手を合わせてしまいます。」と仰いました。
雲水の清廉で真摯に修行に取り組む姿に思わず手を合わせてしまうという事は、總持寺に参拝に来られた方はわかって頂けるでしょう。
雲水の立ち居振る舞いの中に、インド・中国・日本に連綿と受け継がれてきている仏法を、そしてお釈迦さまご自身を見る事が出来る。だから、手を合わさずにはいられないのだと思います。
「釈迦一人連綿として今日に及べり」
今から二千五百年前のお釈迦様の教えは、人や国が変わってもその教えの根幹は全く変わっていません。
そしてそのお釈迦さまの教え、瑩山禅師さまの教えに触れる事ができるのは、先人たちの弛まぬご修行があったが故です。それが何より尊い總持寺の寺宝だと思います。
先人たちが残した典籍や古文書、墨蹟や絵画などを大切にしまっておくのではなく、「古きもの」「先人が残したもの」から感謝の念をもって学び、感じ、実践する事。変わらぬ修行を続ける修行僧の中にも、熱心に手を合わせる参拝者の皆様の行いの中にも、様々な形となってお釈迦さまが連綿として現代に及び、私たちに教えを説いて下さっている事。それ自体が現在進行形の寺宝であると思います。
いずれは私たちも「先人」となるでしょう。何を学び、何を成し、何を伝え、何を残すのか、總持寺では七月のお盆を迎えます。仏となられた先人たちに手を合わせその声に耳を澄まし、いかに生きるべきか立ち止まって考える。總持寺の宝を感じにお参りください。總持寺の門はいつでも開いています。