12月1日から8日未明まで、大本山總持寺では臘八攝心を修行します。臘八攝心とは、お釈迦さまが七日間の不眠不休の坐禅の後、12月8日未明にお悟りを開かれたこと(成道)に由来する坐禅三昧の行のことです。
修行僧たちは、1日午前4時から8日午前0時過ぎまで、1日2回の提唱の時間を除いて、ほとんどの時間を大僧堂で過ごし、坐禅修行に徹します。
3度の食事も大僧堂でとります。曹洞宗の坐禅は、壁に向かって行う面壁が基本ですが、食事の時は向きを変えて対面となり、浄人役の修行僧に給仕していただき、食事をとります。食べる方も給仕する方も、きっちりと作法が決まっています。この作法の起源は、日本に禅宗が伝えられた鎌倉時代以前の中国の禅宗の様式からなるもので、古い禅の姿を現代に伝えるたいへん貴重な様式となっています。私も本山で修行をはじめたばかりのころ、覚えるのに一番苦労した思い出があります。
臘八攝心は、ほぼすべての修行僧が参加するため、本山のほとんどの行持を休止してこれに臨みます。そのためこの期間、本山は静寂に包まれます。静寂の中、お釈迦さまのお悟りに少しでも近づこうとする修行僧たちは、われを忘れてひたすら坐禅を行じます。日頃より坐禅になれている修行僧にとっても、7日間の攝心はかなりの難行です。攝心が終わる大開静のころには、節々の痛みも忘れてしまうほど、身心が朦朧となります。
しかし、大開静後すぐに行われる、お釈迦さまの成道を讃える成道会献粥諷経に臨むと、だれもが大いなる安堵感に癒され、ことさらお釈迦さまを慕う情が心に湧き上がってくるのを感じます。
それは、お釈迦さまに少しでも近づくことが出来たという達成感から来るのかもしれません。
ところで表題のお言葉は、大本山總持寺を開かれた瑩山禅師が『伝光録』の中で示されているお言葉です。『伝光録』は瑩山禅師が、お釈迦さまから孤雲懐奘禅師に到る一仏五十二祖の実像を明らかにし、仏法が正しく相承されていくさまを示された曹洞宗の聖典です。その首章が釈迦牟尼仏章となり、お釈迦さまのお悟りの因縁が示されています。
表題の意味は、「お釈迦さまは、明けの明星を見てお示しになられた。私とこの世のすべての存在と同時に成道した。と」となります。私は「お釈迦さまの成道は単にお釈迦さまだけのお悟りではなく、未来永劫にわたってあらゆる存在の救いとなるものである」と解釈したいと思います。
実際、その後お釈迦さまは仏教を開かれ、その御教えは2500年にわたって世界中の人びとの信仰を集め、悩める人びとの心の支えとなってまいりました。
お釈迦さまのお悟りの根幹は「縁起の道理」であるといわれます。すなわち、すべての存在には独立した実態はなく、すべてが大いなる縁によって巧みにつながりあっているという道理です。この道理を知れば誰もが、他のすべての存在との一体感が強まり、個々の対立はおのずから消え去っていきます。仏教が平和主義といわれるのは「縁起の道理」に基づいているからなのです。
今、様々な対立によって、世の中の平和が著しく脅かされています。いまこそ世界は、仏教の教えが必要な時代を迎えているのではないでしょうか。
臘八攝心を修行するにあたって、瑩山禅師が示された「同時成道」の意味を深く参究したいと思います。