令和6年4月1日から4月21日にかけて、大本山總持寺では太祖瑩山紹瑾禅師七〇〇回大遠忌本法要が厳修されます。大遠忌とは曹洞宗では大本山永平寺御開山高祖道元禅師、二祖孤雲懐奘禅師、大本山總持寺御開山太祖瑩山禅師、二祖峨山紹碩禅師の四名の祖師方について営まれる報恩行で、50年に一度行われ、長期にわたって行われる大法要とともに、大規模な伽藍整備が進められます。
この度の七〇〇回大遠忌では、法要としては、中心となる本法要の他、予修法要、慶讃法要と、2年間にわたって法要が営まれます。また、伽藍整備としては耐震補強が中心となり、峨山禅師六五〇回大遠忌からの継続となりますが、10年以上もの長期にわたって行われこの3月にはすべてが完成し、3月25日に落慶法要が営まれました。数々の伽藍整備は、これから50年後100年後を見据えての大切な事業となっています。
この度の大遠忌を修行する意味は、總持寺に集うもの皆が、御開山瑩山禅師がどのような願をもって總持寺を開創されたかを明らかにし、その願いを未来永劫相承し受け継ぎ伝えていくことを約束することだと私は思っています。
瑩山禅師は夢で見られた事柄を、神仏の暗示としてとても大切なことと思っておられたと伝えられています。瑩山禅師の語録にも夢のお告げの話しは、随所に記述されています。
夢のことを持ち出すと、現代では科学的ではないと真っ向から否定される方もいるようですが、深層心理という観点では、たいへん重要な意味を持つものとされます。鎌倉時代前期に活躍された華厳宗の明恵上人はご自分の見た夢を漏らさず日記として記録されておられました。その日記は、今日の心理学で、深層心理を研究するための貴重な資料となっています。
瑩山禅師は、我が国に伝わった曹洞宗の正統性を証明するために、永光寺に五老峯を造成することを計画されました。そのことについてある方から忠告を受けられたそうです。「本堂より高いところに何かを造成すると、そのお寺は廃れてしまう」という忠告でした。当時としては、とても重要な忠告でしたが、どうしても五老峯を完成させたかった瑩山禅師は、その判断を夢に託されたと伝えられています。待つこと二か月、とうとうある夢を見られました。それは、瑩山禅師がすでにご遷化されてしまっている後の、檀信徒でにぎわうお寺の姿でした。禅師はその夢の様子を和歌にしておられます。
「われ棲むと 那坂の山も踏み平らし 苔のしたきて 人ぞ訪ひ来る」
(意訳:瑩山禅師はすでにご遷化されておられるが、その御遺徳が満ち溢れているお寺だと信じて、多くの檀信徒の方々が列をなして、遠くから日々お参りに来られる)・・・瑩山禅師は正夢と信じられ、五老峯の建立を決断されたと伝えられています。
夢の事とは言え、瑩山禅師がいかに檀信徒のことを大切に思い、未来にわたって檀信徒が絶え間なくお参りに来るようなお寺の姿を願っておられたことが、この夢のお話からも垣間見られます。
大本山總持寺は瑩山禅師が最晩年に開創された本山です。總持寺の建立は、瑩山禅師の大願である、仏法があらゆるところに行き渡り、すべての人が救われる世界の実現を、後世の弟子たちに託してのものだと私は思っています。 間違いなく、これから未来永劫總持寺に集うであろう、多くの檀信徒の方がたの偉大なる信仰の力を期待されての事だと思います。