大本山總持寺では4月1日から21日にかけて、太祖瑩山紹瑾禅師七〇〇回大遠忌本法要が厳修されました。全国各地から焼香師様をお迎えすると共に、大勢のお檀家様が参拝団としてお参りいただき、また法要を支える多くの僧侶の力添えにより無事円成する事ができました。
私も微力ながら本法要のお手伝いをさせていただくご縁を頂戴したのですが、大遠忌法要の様子を拝見しておりますと表題の瑩山禅師様のお言葉が浮かんできました。
このお言葉は、瑩山禅師様が晩年に記された「当山尽未来際置文」(『洞谷記』)の一節です。意訳しますと「師僧(寺)と檀信徒が親しく和合して、水と魚のように関係し合い、未来に渡って一体となり、肉親の間柄のような思いで共に歩みなさい」というお示しになります。
特にコロナ禍以降、仏事が簡略化されがちな世情の中で、人々の幸せを祈り願うという宗教本来の役割、大切さに改めて気付かされました。總持寺の「總持」とは陀羅尼を意味する言葉で、「よく総てのものをおさめ持って忘れないもの」という意味があります。仏法(陀羅尼)が満ち満ち保たれている総府としての總持寺は、毎朝行われる大般若祈祷に代表されるように人々の願いに寄り添った法要が日々営まれてきました。それが現在に至っても人々の心の安寧に繋がっている事は、瑩山禅師様の御遺徳の一つでありましょう。師檀和合するこのお示しは、困難な時代を生きる私たちの大きな支えとなります。
大遠忌の法要中、私は主に大祖堂の左脇でおつとめする法要解説のお役を頂き、普段見ることのできない須弥壇上の一部を垣間見ることができました。そこには「伝灯院」として、高祖道元禅師・太祖瑩山禅師・二祖峨山禅師・五院開基の尊像及び独住禅師のご真牌が奉安されています。そちらに焼香師様が登壇されるのですが、壇上でご焼香されているお姿を日々横から拝見しておりますと、かつて私も御本山に修行させていただいた時に、薄暗い御上檀に初めて登壇した緊張と感動が甦ってきました。そちらに祀られている黒々と光り輝く祖師方の尊像の眼光は鋭く、厳しくも温かく見守ってくださっている事を直に感じたのです。
その時に思い浮かんだのが、師匠である父親や前住職の祖父の顔でした。
師匠と弟子とはいえ時には意見の相違から衝突する事もありましたが、私が修行に出る時には皆温かく励まし見送ってくれました。その時の表情と、祖師様の表情とが重なったのです。きっと師匠自身も修行に来たばかりの時には、祖師方の尊像の前で同じような気持ちになったのではないかと思います。それが代々、脈々と受け継がれているのです。お釈迦さまから始まる仏祖単伝の正法が、高祖道元禅師様、太祖瑩山禅師様を通して、一本の線として自分に伝わっている事を身を持って感じた瞬間でした。
この度の七〇〇回大遠忌法要では、法要の締めくくりともなる慶讃法要が5月27日から6月2日、10月9日から15日まで営まれます。慶讃とは「祖師の功徳を喜び、たたえること」を意味します。皆様もこの大遠忌法要をご縁として、瑩山禅師様がお示しの和合の心を自分の心とし、そのみ教えを自分の行いとするならば、七〇〇年の時空を遡って瑩山禅師様にまみえる事ができるのではないかと思います。