本年は大本山總持寺御開山 瑩山禅師七〇〇回大遠忌の年です。本山に集う私たちは、禅師の御遺徳を顕彰し、その御教えを相承し後世に伝えていくことを誓う一年と心得ています。
瑩山禅師の人となりを知る手掛かりになる書物が、禅師が永光寺で撰述された『洞谷記』です。そこには永光寺開創の前後から示寂前までの様子が日記の形式で記述されており、禅師の宗門に対する見解や、弟子や檀信徒に対する慈悲深い思いが綴られています。
その中に、禅師のお母様のことを語られた記述があります。要約すると「十九歳の時発心して、さらなる仏道を求めた。宝慶寺に入り維那に任じられて大いに指導の腕を振るったが、私の悪口を言うものがいた。私の憤りは膨れ上がり、仏の道に反する大罪を起こしてもかまわないと思うほどになった。そうしたところ何故か心に懺悔の気持ちが湧いてきて大罪を思いとどめることとなった。その時私が思ったことは、『私は幼い頃より誰よりも恵まれて、仏道を歩むことが出来、今発心して、重要な役職をいただいている。私が心から願っていることは、仏法をすべて修めて、あらゆる衆生を教化することである。もし憤りのままに悪事をなしてしまえば、私の道は閉ざされてしまったことだろう。』ということだった。その時以来、私は憤りの心を起こさなかった。自然に慈悲深く穏やかな心を持ち続けることが出来、今、仏法を極めたもののひとりとなることが出来たのだ。これは、私の慈悲深い母が、私のためにひたすら観音様に祈り続けてくれた、そのお祈りの力の支えがあってこそのものであった。」
禅師は、お母様の強い観音信仰のもとお生まれになり、お母様の導きもあって幼い頃より仏道を志し、八歳の時に大本山永平寺に上山されておられます。以来十年の間、禅師は永平寺にて立派に修行を務められ、一方お母様は、毎日観音様にお祈りされていました。
実際にお会いすることはできなくとも、その親子の愛情の絆は仏縁となって、日々その尊さを増していったことでしょう。
一般的に、出家とは親子の絆を断絶することから始まります。出家の功徳を説く『流転三界の偈』には「棄恩入無為真実報恩者」という一節があります。断ちがたい父母の恩愛を断ち切って、仏道を歩むことこそ、本当の親孝行者の姿なのだ。という意味ですが、出家においては、親子両方ともその意味を知らなければならないのです。
瑩山禅師とお母様もその意味をよく知っておられたのだと思います。だからこそ後に、禅師がお母様の得度の師となり、お母様の御遺言が、禅師の女人済度の御誓願になるという、類まれな仏縁で結ばれる関係となり得たのだと思います。
表題のお言葉は、瑩山禅師が懺悔をされたと同じ頃、宝慶寺で誓われたお言葉です。未来仏である弥勒菩薩の証明を仰いでの御誓願ということですので、未来永劫の誓いといっていいものだと思います。意味は「仏道に生き衆生を救済するという心(菩提心)を、たとえ何度この世に生まれ変わったとしても、必ずおこす」と解釈したいと思います。
お母様の我が子を思う深い愛情が、仏さまのお力によって、尊い仏縁となり禅師に伝わり、御誓願となったお言葉です。