今月のことのは

「相承」~大いなる足音が聞こえますか~
そうじょう~おおいなるあしおとがきこえますか~
御両尊大遠忌テーマより

【五十年に一度の御両尊大遠忌法会に出逢う】

 大本山總持寺では平成二十六年に始まった總持寺第二代峨山禅師様六五〇回大遠忌法要と本年の總持寺御開山太祖瑩山禅師様七〇〇回大遠忌法要を一体化し、五十年に一度の大法要として修行しております。そして、そのテーマを「相承~大いなる足音がきこえますか~」と掲げております。

【あなたの足音】

 さて、皆さまは「足音」と聞いて、どんな足音を想像しますでしょうか?子どもたちが体育館を走り回っている音でしょうか?会社員さんが街中を足早に歩いている靴の音でしょうか?農家さんが田畑を耕し、あぜ道を歩いている長靴の音でしょうか?私は、平成二十六年に始まった大法要から「大いなる足音」とは一体何なのだろうかと考えておりました。

【北海道の鳴き雪】

 その答えの一つに導いてくれました言葉に出逢いました。私が大好きな足音の一つに「鳴き雪」の音があります。「鳴き雪」とは静まり返った真冬の日、風もなく冷え切った雪道を歩くと「きゅっ、きゅっ」と鳴る足音の事です。昨年の冬、雪道を歩き鳴き雪を聞きながら八十五歳になる檀信徒さんの家にお参りに行きました。「おはようございます。お参りに参りました。」と檀信徒さんの家に行くと「和尚さん、おはようございます。今日も寒かったね。さあさあ、ストーブで温まって。和尚さんのお爺さんも、お父さんも、こうやって歩いてきてくれて本当に有難いわ。」と言ってくれました。私の祖父も、父も、その雪道を歩き、お参りに行っていた事を改めて気付かされた言葉でした。

「そうか、足音を実際に立てているのは私だ。しかし、この音は道を作ってくれた多くの人生の積み重ねの音だ。」

「雪の日も、暑い日も、楽しい時も心が悲しい時もずっと歩み続け道を作ってくれていた。その積み重ねの音を、今、私がここで音を立てている」

「大いなる足音」とは、多くの思いが積み重なって鳴っている『自分の足音』。そう思った瞬間でした。

 しかし、人は雑踏の中や色々な考え事をして歩く時、悲しくて周囲が聞こえない時など、時としてその大切な足音に気付けない時があります。

そんな時、御開山瑩山禅師様は「身を調え、息を調え、心を調える坐禅は、本来の自分を明らかにしてくれますよ。」と後世の私たちに教えを残してくれました。忙しい現代社会を生きる私達です。

 身を調える様に一度立ち止まり、深呼吸をして息を調え、心を落ち着かせて丁寧に自分の「一歩」を踏み出して下さい。きっと本来の「自分の足音」が聞こえてくるのではないでしょうか。

脚下照顧(きゃっかしょうこ)と相承】

 禅語に「脚下照顧」という言葉があります。

これは、足元をよく見て、今ここを大切に生きなさいと言う意味があります。

 大本山總持寺の修行は一人だけではできません。しかし、大変が故に自分の事しか見えないことも、周囲の支えにも気付けない時もあります。そんな時、私は千葉県出身の大先輩に「お前は何人に支えてもらっているんだろうな」と言葉を頂き「ハッ」としたことがありました。自分の足もとは本当に多くの方々に支えてもらっていると気付かされた一言です。ここ總持寺には、先輩の修行僧から後輩の修行僧に連綿と思いを託す伝統があります。

 その姿こそ、御開山瑩山禅師様の教を連綿と「相続し」真摯に「承り」紡いでいくと言う『相承』の姿なのです。今日も多くの修行僧が瑩山禅師様の教えを受け継いで行こうと精一杯の「大いなる足音」を響かせて修行に打ち込んでおります。

令和6年10月
北海道 天總寺住職 谷 龍嗣老師