今月のことのは

坐禅は是れ己を明らむる也
ざぜんはこれおのれをあきらむるなり
本山開祖瑩山紹瑾禅師『坐禅用心記』

 大本山總持寺では、令和6年11月末日をもって、太祖瑩山紹瑾禅師700回大遠忌の記念参拝期間が終了となりました。これにより、700回大遠忌のすべての行持が円成することとなりました。

 また今回の大遠忌は、平成26年厳修の峨山禅師650回大遠忌と合わせて「御両尊の大遠忌」として修行されたことから、約10年に及ぶ大遠忌が終了したことにもなります。

 この10年、本山では總持寺発展の礎を築かれた御両尊の大いなる足蹟を顕彰し、その御教えを相承し、正しく未来に伝えていくという覚悟をもって修行がなされました。

 私は、この10年間本山でおつとめさせていただいていたのですが、その間の大遠忌事業によって本山の姿もずいぶん変わったと感じています。地下廊下が地上廊下になったほか、いくつかの伽藍が立て替えられたり、大幅に改築されたりしました。

 特に力を入れて進められたのが耐震補強です。想定される関東大震災クラスの地震にも十分に耐えるようにと、ほぼすべての伽藍が整備されました。

 また、この10年、さまざまな伝統的な行持が綿密に行なわれたことによって、本山のしきたりである清規が欠けることなく次の50年に相承されていくことと存じます。

 一方この10年の内外の出来事に目をやると、様々な課題が生じた10年でもありました。

 コロナ禍により、世の中の日常の姿が一変しました。戦争の惨禍が拡大し、世界平和が著しく脅かされようとしています。地球温暖化が加速し、気候変動が深刻な問題になっています。

 そして、本年1月、能登半島地震により本山の故郷の地、能登が甚大な被害を受けました。

 まさに歴史的な課題が重なった10年でもありました。

 そのような多事多難の時代を生きていかなければならない私たちは、これから何を頼って生きていかなければならないのでしょうか。

 頼って生きていくというよりは、むしろしっかりと自己を見つめて、自分の姿・心をよく理解して、どのような環境にも適応できる自己を持つことが大事になってくるはずです。

 この10年、本山に集う私たちは、御両尊の遺徳を顕彰してまいりました。そのことは、間違いなく私たち自身のあり方を問い続けた10年だったのではないでしょうか。

 御開山瑩山禅師は、『坐禅用心記』の中で、「坐禅は是れ己を明らむる也」とお示しです。ここでいわれる己は、個人を離れた大いなる自己(大我)と本来とらえるべきでしょう。しかしながら今の私には、悩み苦しみ迷っている自己(個我)のことも示されているととらえた方がしっくり致します。

 自己が変わっていくさまを期待して、私は表題のお言葉を「坐禅の時には、迷いの中にいる自己がそのまま明らかになり、同時に迷いのない大いなる自己に気づかされるのである。」と解釈したいと思います。

 12月1日早朝から12月8日未明にかけて本山では集中坐禅修行である臘八攝心を修行いたします。もちろん2500年前に仏教を開かれたお釈迦様のご遺徳を偲んでの坐禅修行ですが、この度の私は、10年の御両尊大遠忌を経験した自己を深くふり返りつつ、この攝心会に臨みたいと思っています。

令和6年12月
本山布教教化部長 花和浩明師